心の苦しみ

生きていると、みんな本当に色々あると思う。

 

私はとりあえず生まれてからずっと、住む家があり、学校にも行けたし、ご飯も食べさせてもらってきたから、そう考えると苦労という苦労はしていない。

 

でも昔から頑固でわがままなくせに、ひどい怖がりだったから、いつも怖くて怯えてて、それに子供の頃からあまり家庭の状況も良くなかったから、いつも人の顔色ばかり伺っていた。

 

 

だからかな、今でも自分の中に、「きっとみんな私から離れていく」というような諦めと、「どうせ私はこんなだから仕方ない」という自己否定する癖のようなものが、こびりついている。

 

 

そのような思考は、ヨガと瞑想の実践のおかげで随分と改善されてきてはいるけれど、どうも潜在的なものがあるみたいで、何かの拍子に浮き上がってくる。

 

 

昨日の夜の瞑想では、自分のエゴと不安が広がっていて何だかワサワサしてたんだけど、とりあえず「その思考自体は私自身ではない」と見つめて、その妙な思考はどこからやってくるのか観察し、その思考に対して「お前は一体何者なんだ」と問うてみたら、自然にふわっと消えていた。

 

勿論気づいたらまたネガティブな思考がワサワサと蘇ってくるんだけど、それに飲み込まれたり、見ないようにしたり、否定することなくただ客観視するしかない、ということさえ分かっていれば、大丈夫なのかなと感じた。

 

 

 

私は「何故こんなに苦しいんだろう?」という思いから瞑想を始めたけれど、その後、「苦しみは自分の心が作り出している」ということに気づいた。

 

何かのせいにしたくなるけれど、残念ながら苦しいのは外は何も関係なくて、全て自分の中から生まれており、自分の心が自分を苦しめているのだ。

 

 

でもその心の苦しみから逃げたり、見ないようにするともっと苦しいし、自分のエゴと戦おうとすると、余計にエゴが大きくなって飲み込まれてしまう。

 

 

なので私は、エゴと戦わないという姿勢であるチベット仏教高僧のミンギュル・リンポチェの教えから、とても大きな学びを得ているのだけど、今朝Tergar JapanのSNSのページを見てみたら、ちょうど今の自分にグッとくる教えがシェアされていたので、共有したいと思います。

 

 

ミンギュル・リンポチェはとても恵まれた環境で生まれ育ったにも関わらず、幼い頃にパニック障害を患っており、それを瞑想の実践で克服され、その自身の経験を皆に伝えてくれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

『人生の初期は、ほとんど恐怖や不安に押しつぶされそうになって生きてきたので、心の苦しみ(煩悩)がどの程度のものなのか、わかっていました。

 

十三年間も、私は怖れのために死んでしまうのではないか、時には、こんなに恐怖を感じるのなら死んでしまった方がいいかもしれない、と思っていたのです。

 

 

しかし、安居に入り、こうした心の苦しみに真正面から向き合ったときに、私は、無知、執着、怒り、嫌悪などの心の苦しみは、私に与えられた瞑想の材料なのだということ、ちょうど孔雀の羽のように、心の毒は大いなる祝福の種に変わったということなのです。

 

 

あらゆる心の苦しみは、実際には智慧の基礎なのです。

苦しみにとらわれてしまったり、あるいは抑圧しようとしても、それは結局、より多くの苦しみを生み出すことになります。

 

 

しかし、その代わり、自分を殺すのではないかと怖れていたものを直接に見つめると、それは今まで望んでもいなかったような瞑想の支えとなるのです。』