死とは何か

2年ほど前だろうか、以前の家で住んでいた時のことだ。

 

仕事から帰ってきて学園前の駅から家まで歩き、途中にある踏切の前で電車が通り過ぎるのを待っていたら、私の足元の右側で鳥が死んでいるのを見つけた。

 

 

私は驚いて、こんな時はどうしたらいいのだろうかと思い携帯で調べてみると、野鳥の死骸には触れないようにと書かれていて、でも私はこの鳥を人目につかないよう、そばの草むらに葬ってあげたかった。

 


それに家は賃貸だし庭もないから埋めることも出来ないし、迷いながらもとりあえず踏切の向こうの草むらまで移動させようと思い手に取ってみると、まだ亡くなってあまり時間が経ってなかったのか、そこまで硬直した感じもなく、毛はフワフワと柔らかかった。



 

 

この子は亡くなっているけれど、とても美しかった。何故こんなにも、滑らかで尊くて、こんなにも美しく、愛おしいのだろう。

 


 

私の手の中にいるこの子は、決して小さな鳥の亡骸などではなかった。



紛れもなく大きな空であり、世界そのものだった。

 


私は、その大空であり世界であるこの子に触れ、その圧倒的なエネルギーというのか、世界そのものに触れた感じがして、ただ呆然とするしかなかった。

 

 

 

その後に人目につかないように草むらに葬って、家に帰ってからは悲しくてしばらく泣いてたんだけど、それから私はこの子を「チュンちゃん」と名づけて、いつもそばを通る時はチュンちゃんに声をかけた。

 

 


 

私は、それから死というものがわからなくなった。

 


 

というのも、死んだはずのチュンちゃんと私は出会い、私はとてつもなく大きなエネルギーをもらった。



というか、もしあの時チュンちゃんが元気で飛んでいたら、私はチュンちゃんと出会うことはなかっただろう。



そしてあの時からずっと、チュンちゃんは私の中にいて、変わることなく自由に大空を飛んでいる。

 

 

 

そういえば祖父が亡くなった時も、棺に入った祖父の顔を見ながら、私はこの人を、世界で一番美しいと思った。

 

こんなにも美しい人を、私は初めて見た。

私はこんな美しい人の孫だったのか、と。



本当に、ずっと眺めていたくなるくらい美しかった。

命を全うしたら、こんなにも美しいものなのかなあ、って思った。

 

 

 

 

死とは、何だろう。

 

 

死ぬことを経験していないからわからないけど、というか、どこからが生で、どこからが死、なのだろうか。

 

 

それに、私は亡くなった内山老師から真実を学んでいるし、おじいちゃんも変わらず私と共にいる。

エリオット・スミスの曲だって、今も変わらず聴くことが出来る。

 

 

 

生きて、死んで、出会って、別れて、始まって、終わって。

 

 

でもそれは本当にそうなのか。

 


表面的にそう見えてるだけで、本当は全部繋がっているんじゃないのか。

 

 

大体、私自身が何者なのかがそもそもわからないから、そこからして途方に暮れるしかないんだけど、存在と生だけでなく、死もやはり、私にとっては謎なのだ。

 

 

 

 

 

「ティク・ナット・ハンの般若心経」より

 

 

あの秋の日、私は葉っぱに尋ねました。秋になって他の葉たちが落ちていくのは怖くないか、と。するとその葉は私に答えました。

 

 

「いいえ。春と夏のあいだずっと私はとても活き活きしていました。一生懸命に働いて、木に栄養を与えるように助けました。私の大部分は木の中にあるのです。どうか、私はこの形だけだと思わないでください。このような葉としての形は、私のほんの小さな一部分でしかありません。私はこの木ぜんたいです。この木の中にすでにいることを私はわかっています。やがて土に戻っても、これまでのように木を養い続けることでしょう。だから心配はしていません。枝を離れてもひらひらと地面を舞うときは、木に手を振り、すぐにまた会いましょう、と言うつもりです」

 

 

突然、私は般若心経にある智慧とひじょうによく似た洞察があることを見てとりました。命を「観」なくてはいけないのです。葉っぱの命ではなく、葉の中にある命、木の中にある命と言うべきです。私の命は大いなる命そのものであり、その命は私の中にも木の中にも見ることができます。やがて、葉は枝から離れると、嬉しそうにひらひらと舞いながら、地面に降りました。その葉っぱは散りながら、木の中にいる自分を見ていたのです。葉っぱはとても幸せでした。私は頭を下げました。怖れることのないこの葉から学ぶことはたくさんあると知ったからです。何ひとつとして生まれることはできず、死ぬこともできないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

この体

 

あなた自身の体を深く観ていけば、その中にはあなたの両親と祖父母、すべての祖先、そして地球の生命の歴史がすべて入っているのがわかるでしょう。

 


この体は、ふだんあなたが体だとは思っていないような、体以外のすべてのものから作られた複合体です。

そこには太陽と月と星、時間と空間も見てとれるでしょう。

事実、この体を作り上げるために、宇宙全体がここに集まっているのです。

 

 

その体に欠けているものはただひとつ、分離した実体という存在です。

 

もしも太陽の光を太陽に、雨を雲に、鉱物を大地に返すとしたら、私たちのこの体は存在できるのでしょうか?

 

すべての物質現象は、その中に宇宙全体を抱え込んでいます。

どんなものでも、それだけで存在することはできないのです。

 

この体はすべての存在に依存していることを見通せれば、独立して存在する実体などないことがわかるでしょう。

 


 


 

数百年もの歳月を経て 代々伝わってきたこの体

一度も死んだことのない体

 

 

この体を大切にあつかおう 私ひとりのものではない

私につながる先祖すべてのもの 軽んじてはならない

 

 

心はこの体の中にある

心は体を生じさせ、体は心を生じさせる

 

 

この体の中に 宇宙のあらゆる生命の奇跡がある

不生不死界、浄土、神の国もある

ないがしろにはできない

宇宙の不思議がすべてある

 

 

この体は宇宙に咲く美しい一輪の花

大事に世話しよう

宇宙の不思議と奇跡を

すべて解き明かしていこう

 

 

この体はたくさんの形となり

未来に続いてゆく

子孫がいるかどうかではない

後に続く生命のために

この体を美しく継続していこう

 

 

 

「ティク・ナット・ハンの般若心経」より

 

 

 

 

 

 

 

風の馬

私が応援しているルンタプロジェクトで久しぶりにお買い物をさせてもらった😃

 

 

今回頼んだのは、オリジナルTシャツとランチョンマット7枚とタルチョの小と中サイズ。

https://www.lung-ta.com/online-store

 

 

Tシャツはオーガニックコットンの生地にルンタプロジェクトのロゴがプリントされていて、肌触りが良いからとても気持ちがいい😊

2000円はめちゃ安いと思う😆

 

 

 

早速着てみました😆笑

 

あら、はるみさん良く似合ってるじゃないの✨

でも後ろに服が脱ぎ散らかしてあるけど😅💦

 

 

 

中サイズのタルチョはプラクティス部屋のベランダに取り付けて、古くてボロボロになったタルチョは外して補助として再利用😃

 

 

タルチョはチベットの祈祷旗で、五色は天・風・火・水・地を表し、風に乗って人々の願いを天に届けるという風の馬(ルンタ)が印刷されている🐎



 

寝室のベランダには小サイズを取り付けた😃

 

でもタルチョを付けると、なんか感無量というか、やたら込み上げてくるものがあるねんなあ😭

テンションもめちゃ上がるし、今回新しく頼んで良かったな🤗

 

 

 

因みにジェイミーが巻いてるのはルンタプロジェクトのイラクサのマフラーで、玄関に飾っている版画は、ルンタプロジェクトがクラウドファンディングをしていた時に寄付し、その特典で頂いたもの😃

 

 

 

今は世の中がとても変化している時だけれど、こうやって地道に応援は続けていきたいと思う☺

 

 

風の馬に乗って、思いよ、届け🐎

 

 

 

 

 

 

 

何もしない

ここ数日は、「何もしない」ということを大事にして過ごしている☘

 

 

私達はいつも何かをしていて、何かをすることで「私は生きている」という実感を得ようとしているけど、そうやって何かしていないと落ち着かないというのは本当は問題で、ストレスや緊張感、不安を自分で作ってしまっているのだ😓

 

 

しかも何か一つのことに集中しているならともかく、テレビ見ながらご飯を食べたり、携帯見ながら話をしたり、お菓子食べながら本を読んだり、そうやって意識が常に色んな方向へ向いてると、ますます今ここにいる自分という存在から離れていってしまう😥

 

 

瞑想も「doing」ではなく「being」であることが重要で、「する」のではなく「今起こっていることに気づく・今起こっていることを知っている」ということが大切なのだけど、私もわかってはいながらもついdoingでやってしまうので、最近は坐禅も、出来るだけ「何もしない」ということを心がけて坐っている😌

 

 

 

ここ数日は本も読まず音楽も聴かず、それに出来る限り静かな環境で過ごしたかったから、携帯もLINEとメールのサウンドの通知をオフにして、可能な限り余計な雑音を消したんだけど、とてもゆったりとして心地が良い✨

 

 

まだまだ私は外に意識が向きがちだから、こうやって物理的に独りで静かに過ごす時間が必要なんだけど、今回の自粛期間が終わっても、こういう時間を定期的に作っていけたらなあと思う🏡

 

 

 

 

レモンの花が沢山咲いてきたけど、すぐに花びらが落ちちゃうからお掃除が大変😂

 

 

でもジャスミンやネロリのような甘い香りがして、自分の中の女性性を呼び起こさせてくれる感じで癒される✨👩

 

 

 

家の用事は少しずつやっていて、もうやりたいことは全部終わったんだけど、先週レースのカーテンを全部洗った時、一階の洋室から見える庭が素敵だったので撮ってみた🤗

 

 

 

 

家には誰も来ないけど、チベット絨毯のチベたんは相変わらず玄関で威風堂々としていらっしゃる😊

ジェイミーも相変わらず足浮いてるし💀🤣

 

 

私は今は、「人間・動物・植物・物質」の境界線が自分の中であんまりなくて、というか私にとっては全部同じだから、家で独りでいても「私は独りだ」という感覚があまりないんだけど、我が家でもみんなそれぞれが、自分の場所で自分を全うしている。

 

 

 

「何もしない」ようにすると、みんなと一緒にこうして過ごせていることがいつも以上に有難くて、宝石のようにキラキラとして感じられるなあ☺💎✨

 

 

 

 

 

 

 

自分を知る

私はこれまで生きてきて、ずっと自分のことが嫌いで仕方なかった😣

 

なんで私はこんなに醜いんやろう、運動神経がどうしようもなく悪いのに頭も良くないし、色は黒いし太りやすいし胸は小さいし、特に人より際立って出来る何かもないし、若くで結婚したけど子供産む勇気も親になる自信もないし👶😥

 

 

コンプレックスの塊だった私はこうやって自分にダメ出しばっかりして生きてきて、だからずっとダイエットしてたし、少しでもコンプレックスを補うためにエステや化粧品、インテリアや雑貨、服やカバンと靴なんかにも相当お金を使ってきた👚👜

 


美容部員になってからはやり甲斐があったけど、頭痛と不眠のために頭痛薬と安定剤は手離せず、更にたまたま出会った年下の男性と不倫したら本気になってしまい、でも遠距離だったからなかなか彼には会えなくて、それでその辛さを違う人で埋めようとしたり😥


仕事では過労に加えて、自分に向いていないマネジメント業務を上手くこなすことが出来ず、会社の上司と仲間達からひたすら責められまくっていたのでプチ鬱&人間不信になり、もうホンマに無茶苦茶やった😱💦

 

 

30代の半ばで仕事やめて、ヨガを始めてからかな、自分と向き合うということを何となく知って、その後ヴィーガンという生き方を知り、殺生をしたくないという思いの元にヴィーガンになったけど、本当のところは無意識に「清い私でいたい」「自分ではない何かになりたかった」だけで、でも何でもとことんやってしまう私は、気づけば栄養失調になっていた😢

 

 

瞑想を始めて、そこでやっと、これまでずっと私は自分の不安を何かで満たして誤魔化そうとしていたこと、自分を責め続けて「この醜い私」をどうにかしようと鏡を磨きまくっていたことに気づき、それから少しずつではあるけれど、自分のことを愛せるようになり、ありのままでいいんだ、と思えるようになってきた🌼

 

 

 

 

瞑想は、チベット語で「ゴム」というらしいのだけど、それは「親しむ」とか「よく知る」という意味だそうで、一般的に瞑想は「スッキリする」「無になる」「悟りの境地を得る」と誤解されがちだけど、本当は自分の本来の心に親しむこと、自分自身のことをよく知っていく、ということなのだそうだ。



因みにヨガも瞑想だから、私はヨガも瞑想も、どちらも自分をよく知っていくためのものである、と今は理解していて、勿論それは一度に出来るわけではなく、徐々に進んでいく過程であり、少しずつ本当の自分と繋がっていくためのものだ。


 

 

私がこれまで苦しんできたのは、全て「外から自分がどう見えるか」ということであり、もし自分がそのままの私を受け入れて愛していたら、おそらく無かった苦しみだろう。

 

人から何を言われようが、自分が自分を信じて認めていたら、例え世界を敵に回しても大丈夫なのだし🌍

 

 

 

気づけば「他との兼ね合い」としての自分を生きてきて、それが自分だと思ってきたけど、本当は「西田さん」でも「晴美さん」でもない私が、本当の私なのだろう。

 

名前も肩書きも名誉も何も必要としない、私という何とも言えない、この存在が在る。

 

 

この「生きている」という感触というか、そこに触れるととても穏やかで、そして私の目に映っているものも全て一緒に存在している、という安らぎ。

 

 

これまで私は外に何かを求めてきて、ずっと自分を知ろうとして来なかったけど、これからの人生は「自分を知る」ことを大切にして、変化を楽しみながら、一歩一歩進んでいきたいな🌿

 

 

 

 

 

テレビはないけど音楽は昔から好きでよく聴く私は、最近ジャスティン・ビーバーとエド・シーランを聴いている😃

 

これまでこんなヒットチャートに上がるメジャーな人達の音楽はあまり聴かなかったけど、自粛中のお家時間を過ごすには最適なBGMだ🎵

 

特にジャスティンのNEWアルバムを聴いてると、めちゃくちゃ心地良いから、いい感じで力が抜けてだいぶ癒される✨

 

 

ジャスティン・ビーバーもエド・シーランも「傷ついてきたセレブリティ」だからかな💔

痛みを経験して、それを乗り越えようとするアーティストの繊細で豊かな表現力とエネルギーには脱帽だ🤗

 

 

私は、今はこうしてブログを書いて自分を表現しているけど、何故か今ここに生かされているという不思議極まりない人生は、これから一体どうなっていくのだろうな😌

 

 

 

 

 

 

 

 

自粛生活と八支則

自粛生活が始まって1ヶ月ちょい、今月に入ってからはひたすら家の掃除をしていて、外回りの柵やベランダの掃除が終わってホッとしつつも、今日は窓の桟や床の拭き掃除に没頭していた🧽

 

あとはエアコンの掃除、レースカーテンの洗濯、家の外回りの拭き掃除をやったら大体OKかなあ🧤

 

しかし丁度この時期でホントにありがたい💦

これが真夏か冬やったらここまで出来ないから、だから余計に今やっとこう、みたいな😅

 

 

普段手が回らない所まで掃除が出来ると、やっぱり空気が澄む感じがするし、それに家やそれぞれの物に感謝と敬意を持って心を込めて掃除をしていると、何より自分がスッキリして、掃除が進むほどに心地良さが増してくる✨

 

 

 

でも今日、こういう環境を清潔にすることってヨガだと何になるんやっけ?と思って八支則を見てみたら、ニヤマのシャウチャにあたるようだ🤔📖


※八支則…パタンジャリの聖典「ヨーガ・スートラ」に書かれている、8つの進むべき段階あるいは守るべき規則。

※アシュタンガ=8本の枝

https://fe-nuyoga.com/about/ 

↑沖縄のツトム先生のスタジオのHPより引用

 

 

私は頭があまりよろしくなく、なので哲学や難しい言葉などを学んでもさっぱり覚えられないから、なかなか八支則も覚えられないんだけど、こうして自分の生活や行動に当てはめていけば馴染めそうだ😊

 

 

そして八支則の、特に最初の2本の枝の「ヤマ(禁戒)」の5つと「ニヤマ(勧戒)」の5つを改めて見てみると、今の自粛生活でちゃんと実践出来ていることがわかり嬉しかった✨

 

 

自も他も傷つけることなく思いやりを持ち(アヒムサ)

嘘をつかず正直に(サティヤ)

誰かを羨ましがったり妬んだりせず(アステーヤ)

意識をかき乱すような物から自分を避け(ブラフマチャリヤ)

サトヴィックな食べ物を必要なだけ頂き(アパリグラハ)

 

場や自分の心と体を清浄にし(シャウチャ)

足るを知っていつも幸福であり(サントーシャ)

ヨーガを実践し(タパス)

霊的書物から学び(スワディヤーヤ)

行為の結果は神に捧げる(イシュワラプラニダーナ)

 

 

 

今回の自粛期間は、自分の生活を見直す絶好のチャンスであり、正直私は自分に集中出来ることがめちゃくちゃ嬉しかったんだけど、私の場合はまず体を休めて・内山老師から学び・坐禅することを実践し、その後はアサナの実践や環境を清潔にし、期間中は規則正しい生活を出来るだけするようにしてるのだけど、改めて、全部ヨーガの実践なのだよなあと感じた🧘

 

 

この自分と向き合える時間は、私にとっては神様から与えて頂いたギフトであったのだけど、自分を信頼して任せて過ごしたことで、色々な気づきがあり良かったと思う🎁

 

 

明日からはそろそろ外に向けての動きが出てきそうだけど、パタンジャリの八支則を今後しっかりと深めていけるよう、日々を大切にして過ごしていきたい🙏

 

 

 

 

 

キリムのバブーシュがそろそろ暑くなってきたので、楽天で手作りの布草履を注文してみたのだけど、お手頃なのにしっかりしていてなかなかいい感じ✨

 

去年買った竹皮の草履はワンシーズンで潰れちゃったけど、これはしっかりしてるからもう少し持ちそうだな👣

 

 

なんか最近、イエローやオレンジなどのビタミンカラーにやたら惹かれるのは何故だろう🍋🍊💦

 

 

 

 

 

 

 

 

自然に還る

コロナの緊急事態宣言が出てから、何となく私は「これまで都会に集中していた人や物が、これからはもっと分散されるようになり、田舎にも人が増えてくるのでは」と思ったんだけど、すると祖父が生まれ育った奈良の吉野の川上村の家が思い浮かんだ🌲

 

 

誰も行かなくなってだいぶ経つから、もう家は建て直さないと住むことは出来ないだろうけど、私は以前からあそこがどうも気になっていて😥

 

 

そしたら数日前、またふと川上村のことを思い出したら、川上の空気が吸いたいなあ、お水が飲みたいなあ、と無性に恋しくなって、気づけば私は「吉野に帰りたいよう、川上に帰りたいよう」と号泣していた😭💦

 

 

自分でもびっくりしたけど、考えてみると私の中に先祖はいるのだし、きっとそれが私と先祖の本音なのだろう😓

 

 

でも私は20歳くらいで運転免許はとったものの、超怖がりだから結局道路に出るのが怖くてそのままになってしまい、そして兄が事故で亡くなったのがきっかけで、自分は一生車の運転はしない、と心に決めてたのだけど、川上村に行くのは車がないと基本無理やし😱💦

 

 

車に乗れる恋人がいつか出来たら、とか都合のいいこと思ってたけど、そんなこと言うてたら一生川上の家には行けないから、車なんて絶対乗りたくないんやけど、これはもう腹くくって免許また取りに行かなあかんかなあ、と😓🚗

 

でも免許とっても、まずうちの家の前の急過ぎる坂道から車庫に車を入れるという最大の難関があるんやけど😭😱

 

 

 

 

去年の夏に母と吉野山に一泊旅行に行ったけど、やっぱり吉野は旅行に行く所ではなく、私にとっては帰る場所だ🌲

 

ずっと奈良市でいるつもりでいたけど、いつか私は吉野に帰りたい。

 

 

勿論、毎日自分の心も変化するから、その思いが今後どうなるのかはわからないけど、以前にナンシー先生が「ヨガのプラクティスは、玉ねぎの皮をむいていくようなもの」と言われていたように、私もこれまでの凝り固まった観念を1枚ずつ剥がして、本来の自然の自分に還っていこうとしてるのかもしれないな💫

 

 

 

 


昨日やっとならファミリーが再開したのでカットとカラーに行ってきたのだけど、髪が明るくなり過ぎた😱💦

 

でもグレイヘアをこのまま続けたらほぼ真っ白になるから、明るい髪に慣れるのもアリかな😅

まだ見慣れへんけど💦

 

 

 

この自粛ですっかり化粧をしないことに慣れてしまったけど、顔も体も肌がガサガサになってきたから、さすがにもうちょっとお手入れせんとあかんなあ😓

 

 

 

 

 

 

 

 

予定がないという豊かさ

以前に養老孟司さんの本を読んだ時に、「手帳に書かれている予定は、未来ではなく現在である」というようなことが書かれていて、その時は正直ピンとこなかったんだけど、今この自粛を経験して、その意味がわかった気がした😳🗓

https://www.google.co.jp/amp/s/amp-news.allabout.co.jp/articles/d/85741/

 

 

確かに、予定が決まっているとそれに向けて動くから、それは未来というよりも現在であり、だから「予定されていないものこそが未来」なのだと言える🤔

 

 

私は長いこと携帯のカレンダーアプリを使ってるんだけど、いつも仕事やプライベートの予定でカレンダーがビッシリ埋まっていて、それが当たり前だとは思いながらも、予定が多い時ほど息苦しかったので、それは私が自分の未来を自分でなくしていたからなのだろう😥

 

 

今はコロナの影響でみんな「先の見えない不安」を抱えてるけど、私も同じく不安はあるとはいえ、どちらかというと今は予定から解放されてるから、むしろ「先が見えないという安らぎ」「先が見えないからワクワク」という方が大きいかなあ🤗

 

 

というか、大体自分が明日も生きてるという保証すらないのに、自分の未来を予定で埋め尽くすのはやっぱりちょっと違うし、私は今後の人生を、しばらくは難しいかもしれないけど、もう少し予定を入れずに過ごしていけるようにしたいなあと思う😌

 

 

これからは、自分にもっと未来を作ってあげたいな🌿

 

 

 

 

この作務の期間は、朝昼晩の三食とおやつまでしっかりと頂いている✨

 

 

最近小麦粉を食べてもそんなに違和感がないので、よつばの豆乳ドーナツも美味しく頂きました😋🍩

 

 

 

食事の前は「五観の偈」を唱えるんだけど、いつも晩御飯の前だけにしてたのが、最近は毎食の前に唱えるようになった🙏

 

 

規則正しい生活もそうだし、ゆとりや余裕ってやっぱり大事やなあ🍀

 

 

 

 

 

 

 

 

作務の時間

今月に入ってやっと寒さが無くなり体が動くようになってきたから、1日からは全く外出をせず、自宅で作務(さむ)をする日々が続いている🧹

 

 

1日と2日は、一階の押し入れと和室のチェストの中の整理と片付けに費やし、3日は外回りの草刈り、昨日と今日は外周りの白い柵が泥で汚れてるので一本ずつ水拭きしてるのだけど、相当な重労働で、しかも家の裏まで全部やるとなると300本以上の棒を拭かないといけないから終わらなくて、まだもう少しかかりそう😭

 

普通だと、人から見える所だけ綺麗にして、誰も見ない家の裏とかはやらなくていいと思ってしまうけど、その汚れてドロドロの柵を見る自分自身が息苦しくて嫌だし、汚い場所って、どうしても見て見ぬふりをして避けてしまうから、結局放ったらかしになり余計に汚くなってしまうという悪循環に陥るので、それに今は作務に集中出来る良い機会だから、あえて全てやることにした😅

 

 

しかしこうして誰とも会うことなく、自宅の整理や掃除に1人でただひたすら黙々と専念出来るなんて、有難いことだ✨

 

 

若い時は、「一戸建ては外回りのメンテナンスが大変だからマンションがいい」と思っていて、だから奈良に来るまでの20年間はずっと分譲マンション暮らしだったけど、今は逆にこういう作業を出来ることが新鮮だし、しかも全部自分1人でやらないといけないから、相当鍛えられる😂


でも今回はしばらく休みだから、「今日中にやらないといけない」と焦らなくても、出来る所までやって後はそのままにしておいてもいいのが嬉しい😆

 

 

とりあえずまだ外の柵の残りと、その他諸々掃除しないといけない所があるから、しばらく作務の日々が続きそうだけど、さすがにフラフラしてきたから明日はゆっくりしようかな😅🍵

 

 

 

お寺や修行場に行かなくても、自宅で修行はいくらでも出来る🙏笑

 

 

この機会に、家の中と外を綺麗にして流れを良くして、自分の心と体も澄ませていこう✨🤗

 

 

 

 

この間鉢をワンサイズアップして植え替えたエバ子さん😃

 

最近暑くなったから、夜はピタッと上手に葉っぱを畳んでるし、わらびみたいな新芽もいっぱい出てきた🌿

 

 

庭の南天はとんでもないスピードでデカくなってきてるし、植物の生命力にはいつも驚かされるなあ😳💦

 

 

 

 

 

 

地に足つけて

コロナ自粛期間中、Stay Homeしている人達はゆっくり考える時間が出来たことで、これまでの生活を見直すキッカケになってるかもしれないけど、私も同じくで、「これまでの流れを変えて、地に足つけていきたいなあ」と現実的に考えるようになった👣

 


というのは、私はSattvaを立ち上げてから、基本スタジオをメインに考えた上で、外の仕事を含めた生活をしてたんだけど、実はそれが自分をフワフワさせている原因なんじゃないかと😱💦

 

 

それにこの間から、ヨガ仲間の近況をネットで見てみると、みんなオンラインでヨガのクラスをやっていて、でも今の私はそれをやりたいとは思えないので、今のところやる予定はなく😓

 

 

勿論時代の流れの中で取り入れるべきものはやっていく必要があるだろうから、いずれやることもあると思うけど、それはそれとして、その前に、そもそも私は自分が「ヨガティーチャーとしての人生」を送りたいのか?と考えてみると、それは何となくちょっと違うんじゃないか、という気がして😥

 

 

なんかふと気づいてみると、自分の人生をスタジオやヨガ、オーガニックコスメやフードありきで考えてしまっていたけど、そうじゃなくていいんじゃないか、私は私に、自分の人生にグラウンディングしていれば、スタジオやヨガのクラスはあくまで付随してくるものだから、その時々の自分に合わせればいいんじゃないかなあ、って🤔


 

実際、コスメやフードのネットショップを立ち上げようかと考えてみても、今は高いリスクを背負ってまで何かを起こす気力も体力も無く、それよりも自分の生活をまず第一にして、地に足つけて、今の私に沿ってシンプルに生きたい、というのが今の気持ち🌳



確かに自分のスタジオだけでやれるのは勿論理想だけど、ヨガで食べていこうとすると確実にブレてしまうし、それに外で働くことは大事なことだし私には必要だと思うんだけど、仕事もそろそろ化粧品に拘らず、新しい視野で開いていった方がいいかと思っている。

 

 

まだ今は模索中なのでどうなるかわからないけど、今後の方向性が見出せるよう、この機会に自分の中の風通しを良くしたいなあ😌

 

 

 

 

 

水に浸けていたエバーフレッシュの枝に根が出てしっかりしてきたので、この間土に植えてあげたのだけど、何とか育ってくれそうだ✨

 

 

ミニエバちゃん、元気に育っておくれよ🤗🌿