素朴な疑問

お経を唱えていたら、どう考えてもこれは亡くなった人に捧げるものではなく、生きてる人間が自分自身に向かって読むべきものではないのか?という疑問がふと湧いてきた🤔(供養回向などは別として)

 

 

と言っても私は仏教に詳しいわけでは全くなく、お経も大部分が意味のわからないまま唱えてるのだけど、誰でも分かるような箇所は分かるので、その部分だけを見ても、いやいや、死んでからじゃなくて今でしょ、みたいな😅😇

 

 

それで何故お葬式や法事の時にお経を唱えるのか、ネットでいくつか調べてみると、

 

「周りで聞いている人達のために唱えている」

 

「その場でいる者達で、人生において本当に大切なことを思い出そう、学び直そうとする態度の表明」

 

「亡くなって輪廻したばかりの人の魂に栄養を届けるため→供養」

 

 

という感じの答えが出てきた🧐

合ってるのかわからないけど、とりあえず、供養だけではなく、その場にいる生きてる人間の為でもあるようだ😅

 

 

 

でも改めて思うのは、私としては、死んでからお坊さんに来てもらってたら遅いんじゃないのか、と。

 

 

今の日本だと、お坊さんもお経も御供物でしかなくなっているように感じるんだけど、それだとやっぱり残念過ぎる😢

 

 

生きてる内にお経を読んだりお坊さんとお話しして、生死の問題についての疑問とか、どう生きればいいのかとか、そういうのを学ばないといけないんじゃないのか😥

 

 

だって、修證義を見ても、

 

今生の未だ過ぎざる際だに急ぎて發願すべし

 

即心是佛というは誰というぞと審細に参究すべし

 

って書いてあるやんか😂

 

 

 

でもお経って、訳が人それぞれで、般若心経なんか正直まともに解説されてる本ってあるのかなあ、と思うくらいだから、お経を学ぶにしても、どの本から学ぶのか、誰から学ぶのか、というのは非常に大事になってくる。

 

 

私も、自分が唱えてるお経の意味はやはり知っておきたいから、今生の未だ過ぎざる際だに、急ぎて学ぶ機会を得たいものだ😂

 

 

 

 

でも普回向は、いつ唱えても染みるなあ😭

 

まさにこれに始まりこれに終わる、みたいな。

 

 

しかも「十方三世一切佛」って、ホンマにそのまんまというか、まさしくその通りで、そうとしか言われへんよねえ😂🙏