たった1人、違う奴がいる

私は4年半前に鎌倉の一法庵のリトリートに飛び込んで瞑想を始めたんだけど、それからしばらくサンガの一員として接心などに参加していた時に、哲学者の池田晶子さんや永井均さんの著書を紹介され、この私の存在とは、と考えるようになった🤔

 

 

それまで私は世間の人と同じように、私はこの世界で生きている中のちっぽけな1人で、脳が私をやっていて、脳と体が駄目になれば死んでゆく、と思っていた。

人生とは、そういうもんなんだ、って。

 

 

 

でも池田晶子さんの「人生のほんとう」を読んだ時に、天と地がひっくり返るくらいの衝撃を受けた😳😳😳


 

実際、池田晶子さんの著書を読んで発狂した人が何人もいるそうで、でもそれはその人達がちゃんと考えて正しく読んだからだと私は思うけど、発狂してしまったのは、きっと真実を受け入れられなかったからなのだろうな😓

 

 

でも池田晶子さんの著書を読んで、これまでの人生が全部ひっくり返るくらいの衝撃が無いということは、何を言ってるのかピンときてないか、フィクションのように読んでいるか、だろう。

残念ながら、殆どの人は「自分で考える」ということをしないので、こっちに当てはまるのだと思う😢

 

 

私の場合は、「世の中で伝えられてることが全部偽りで、こっちが本当なんだ」と確信したから、相当に衝撃的ではあったけれど、逆にめちゃくちゃ嬉しかったし、真実を知り安堵した、という感じだった。

 

 

永井均さんの「哲おじさんと学くん」は、この「自分のあり方の謎」について書かれていて、ただ私のように頭のよろしくない人間にはだいぶ難しく、この本も当時だいぶゆっくり時間をかけて読んだけど、とりあえず、

 

 

あり方が逆になっている奴が一人だけいる

 

 

というのが、私にとっては一番のポイントで、実際、どう考えても、どう考えてもおかしいのである😳

 

 

なぜか私は私をやっていて、私は人の顔は見れるのに自分の顔は鏡を見ないと見えなくて、自分の痛みは自分しか感じることが出来なくて、見えている人や物や世界は、全て「私 対 世界」の構図になっている。

 


みんなこれが当たり前だと思ってるけど、気づいてみると、どう考えてもおかしい。

なんで、私だけ反対なんやろ、って🙃😳💦💦



それは「えっ?」じゃなくて、「えっ」というか、「あっ」というか、そういう感じ😳



これは本当に、考えれば考えるほどわからなくて、というか絶対わからへんねんけど、改めて考えると、「いやいや、こいつ誰やねん」って😳😱💦💦

 

 

 

なんかわからんけど、私をやってるこいつは誰だ。

というか、こいつは誰だと言ってる私とは何か。

 

もう、おかし過ぎて、笑うしかあれへんやんか🤣

 

 

 

 

でも私は、この自分の存在について考えるようになってから、随分生きるのが楽になった。

だって、世界に一つだけのちっぽけな私は、実は世界なのだと気づいたのだから🌸

 


でも発狂する人達の気持ちもわからなくはない。



だって、私の見えてる世界は一つしかないのだから、ある意味「私しかいない」とも言えるので、物凄い孤独なところに生きている、ということでもある🕴


各々が皆、各々の世界の中で生きているということであり、その人しか、その人自身を感じることも生きることも出来ないのだ。



でもまあ、みんな、まさか自分が本当は「人生という名の映画を観ている」だなんて、気づきたくないんやろうなあ😱😅




なぜか、私はたまたまここで「西田晴美さん」という人の人生を与えられていて、それは考えても考えてもさっぱり訳がわからなくて謎でしかないのだけれど、なぜか私はこいつなのだから、私がこいつを生きてやらんことには、誰がこいつを生きるねん、と。

 


だから、腹くくってこいつを生きようぜ、と、そういうことだ😌


なので私は、このはるみさんという人の人生を、精一杯生きてやりたいと思う✨

 

 

 


これまで私もずっと思ってきたけど、世の多くの悩める人達は、人生の中で、


 

「私が生きてる意味って何?」


 

と思うことがあるだろう。

自分の存在価値を、何かで確かめたくなったりするだろう。

 

 

今の私は、こう思っている。

 


「意味なんかいらんやん。存在価値とか必要ないやん。今ここに存在してるということ自体、そんなん全部超えてるんやから。」