自分を知る

私はこれまで生きてきて、ずっと自分のことが嫌いで仕方なかった😣

 

なんで私はこんなに醜いんやろう、運動神経がどうしようもなく悪いのに頭も良くないし、色は黒いし太りやすいし胸は小さいし、特に人より際立って出来る何かもないし、若くで結婚したけど子供産む勇気も親になる自信もないし👶😥

 

 

コンプレックスの塊だった私はこうやって自分にダメ出しばっかりして生きてきて、だからずっとダイエットしてたし、少しでもコンプレックスを補うためにエステや化粧品、インテリアや雑貨、服やカバンと靴なんかにも相当お金を使ってきた👚👜

 


美容部員になってからはやり甲斐があったけど、頭痛と不眠のために頭痛薬と安定剤は手離せず、更にたまたま出会った年下の男性と不倫したら本気になってしまい、でも遠距離だったからなかなか彼には会えなくて、それでその辛さを違う人で埋めようとしたり😥


仕事では過労に加えて、自分に向いていないマネジメント業務を上手くこなすことが出来ず、会社の上司と仲間達からひたすら責められまくっていたのでプチ鬱&人間不信になり、もうホンマに無茶苦茶やった😱💦

 

 

30代の半ばで仕事やめて、ヨガを始めてからかな、自分と向き合うということを何となく知って、その後ヴィーガンという生き方を知り、殺生をしたくないという思いの元にヴィーガンになったけど、本当のところは無意識に「清い私でいたい」「自分ではない何かになりたかった」だけで、でも何でもとことんやってしまう私は、気づけば栄養失調になっていた😢

 

 

瞑想を始めて、そこでやっと、これまでずっと私は自分の不安を何かで満たして誤魔化そうとしていたこと、自分を責め続けて「この醜い私」をどうにかしようと鏡を磨きまくっていたことに気づき、それから少しずつではあるけれど、自分のことを愛せるようになり、ありのままでいいんだ、と思えるようになってきた🌼

 

 

 

 

瞑想は、チベット語で「ゴム」というらしいのだけど、それは「親しむ」とか「よく知る」という意味だそうで、一般的に瞑想は「スッキリする」「無になる」「悟りの境地を得る」と誤解されがちだけど、本当は自分の本来の心に親しむこと、自分自身のことをよく知っていく、ということなのだそうだ。



因みにヨガも瞑想だから、私はヨガも瞑想も、どちらも自分をよく知っていくためのものである、と今は理解していて、勿論それは一度に出来るわけではなく、徐々に進んでいく過程であり、少しずつ本当の自分と繋がっていくためのものだ。


 

 

私がこれまで苦しんできたのは、全て「外から自分がどう見えるか」ということであり、もし自分がそのままの私を受け入れて愛していたら、おそらく無かった苦しみだろう。

 

人から何を言われようが、自分が自分を信じて認めていたら、例え世界を敵に回しても大丈夫なのだし🌍

 

 

 

気づけば「他との兼ね合い」としての自分を生きてきて、それが自分だと思ってきたけど、本当は「西田さん」でも「晴美さん」でもない私が、本当の私なのだろう。

 

名前も肩書きも名誉も何も必要としない、私という何とも言えない、この存在が在る。

 

 

この「生きている」という感触というか、そこに触れるととても穏やかで、そして私の目に映っているものも全て一緒に存在している、という安らぎ。

 

 

これまで私は外に何かを求めてきて、ずっと自分を知ろうとして来なかったけど、これからの人生は「自分を知る」ことを大切にして、変化を楽しみながら、一歩一歩進んでいきたいな🌿

 

 

 

 

 

テレビはないけど音楽は昔から好きでよく聴く私は、最近ジャスティン・ビーバーとエド・シーランを聴いている😃

 

これまでこんなヒットチャートに上がるメジャーな人達の音楽はあまり聴かなかったけど、自粛中のお家時間を過ごすには最適なBGMだ🎵

 

特にジャスティンのNEWアルバムを聴いてると、めちゃくちゃ心地良いから、いい感じで力が抜けてだいぶ癒される✨

 

 

ジャスティン・ビーバーもエド・シーランも「傷ついてきたセレブリティ」だからかな💔

痛みを経験して、それを乗り越えようとするアーティストの繊細で豊かな表現力とエネルギーには脱帽だ🤗

 

 

私は、今はこうしてブログを書いて自分を表現しているけど、何故か今ここに生かされているという不思議極まりない人生は、これから一体どうなっていくのだろうな😌