ボサツとして生きる

今日、内山興正老師の「進みと安らい」を読み終えた📙

 

1年半前に新装版が出たタイミングで購入したのだけど、元々は1969年に刊行された作品であるにも関わらず、これほど今の時代に必要とされる教本は無いのではないかと思うし、そしてここまで「自己」について詳細に説明されているものは、きっと世界中探しても何処にも無いと思う。

 

 

「自己の構造」という所に関しては、また改めてシェアをしたいと思うけれど、今日最後の章の「ボサツという人間像」を読んで、私自身もボサツであり、そして私は「ボサツとして生きる」ことを誓願して生きたい、と感じた。

 

 

どうしても「菩薩」というのは修行時代のお釈迦様のことでもあるので、私達の手の届かない高嶺の花のように思われるけど、

 

ボサツとは、目指すところはホトケであるとはっきり方向のきまった凡夫

 

であり、どこまでいっても凡夫である私であっても、凡夫は凡夫なりでいい、「仏を目指し、一切衆生をわが子、わが生命として、面倒をみる」ことのなかに「わが生き甲斐」を見出せば、それは立派なボサツである、ということなのだ😃✨

 

 

 

そういえば私が一番苦しかった頃、般若心経の解説本を読み、その時初めてお釈迦様の生涯について触れたのだけど、その時に、

 

「私もお釈迦様のように恵まれた環境を捨てなければ、自身のしがみつきを手放してこの暖かい鳥かごの中から出ないことには、この苦しみから逃れることは出来ない」

 

と感じ、実際それが独りになる一番のきっかけだったのだけど、今振り返るとあれは、「ボサツとして生きたい」「真実を生きたい」という、私の中から湧き上がってきた発心であり、誓願の始まりだったのかもしれない😌

 


 

この「進みと安らい」を読むと、いかに私を含めた人間が「何でも分別する、人間的アタマ」としての自分のままで、真のオトナになれずに日常を生きてしまっているのかと痛感するけれど、まずは自らが「われはボサツなり」という誓願の元、真のオトナとして生きるように努力していきたい💪

 

勿論、その誓願が、「悟りの境地を得る」とか「無になりたい」とかいう間違った方向へ進んでいかないように、常によく観ておかないといけないけど😅💦



 

 

外で読書出来る場所がそろそろ無くなりそうなんだけど、それまでの間に内山老師の御本を二冊読んで学ぶことが出来て良かった😂☕💦

 

 

「進みと安らい」も「拈自己抄」も、仏教という枠を超え、「生命の真実・真実の自己」を知るための大事な教本であるから、是非各々のタイミングで読んで欲しいと思うし、「生きるとは何か」「自己とは何か」という問いを持つ多くの人達の元へ、これからも届けられることを願ってやまない🙏📙